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人生の歩みを基軸として、 |
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1955年 |
東京(杉並区善福寺)に生まれる ![]() |
屋敷林・善福寺池・井草八幡宮といった地域の環境文化資源を身近に体験して育ったことが、サウンドスケープ概念との出会いのベースになると共に、2000年以降の地元での活動に繋がる。 |
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1974年 |
東京都立西高等学校卒業 |
自由な校風のなかで友人・先輩たちとの交流のなかで、現代音楽からポップス、歌舞伎等に至る多様な音楽文化に触れ「音楽学」をめざす。 |
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1979年 |
東京藝術大学音楽学部楽理科卒業 |
楽理科では民族音楽や西洋古楽、現代音楽に至る多様な音楽の在り方を学ぶ。「環境」の視点の重要性にめざめ、卒論は音楽美学者・船山隆先生のもとで「マリーシェーファー研究」。アルバイト先のアールヴィヴァン(池袋西武百貨店内美術書専門店)で芦川聡と知り合ったことが『波の記譜法』の編集・執筆に繋がる。 |
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1980年 |
カナダ政府招聘留学 ![]() |
トロントのヨーク大学大学院に在籍し、カナダ先住民族からジャズやロック、コンテンポラリー等に幅広い音楽シーンを体験しつつ、シェーファーとWSP(世界サウンドスケーププロジェクト)をテーマに調査研究を進める。モントリオールのコンコルディア大学ではシェーファーによるワークショップに参加し「ドアの音」をテーマにしたラジオ番組を作成。トロントでは後に『世界の調律』共訳者となる若尾裕の訪問を受ける。 |
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1982年 |
ヨーク大学芸術学部音楽科音楽学専攻修士課程修了 ![]() |
留学中、シェーファー主催の音響彫刻展Sounds Unseenに出品。シェーファーの野外パフォーマンスの現場・オンタリオの森と湖への関心から、ヨーク大学環境学研究科の友人たちとアルゴンクィン州立公園等を訪問。 |
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1984年 |
東京藝術大学大学院音楽研究科音楽学専攻修士課修了 ![]() |
帰国後、カナダで知り合った黒坂三和子より紹介された生態学者・沼田眞を訪ねる。
留学中「日本の音文化」に改めて関心をもったため朝日新聞天声人語を通じて当時再発見された「水琴窟」や「芭蕉の聞いた音風景」の現場等を訪問。
東京芸術大学大学院在学中に西沢健氏(当時GK設計社長)と出会い、その後の実務としてのデザイン活動への道が開かれる。 |
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1985年 |
東京芸術大学音楽学部楽理科非常勤助手(-1987) |
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1986年 |
サウンドスケープデザイン研究所共同設立 |
庄野泰子、田中直子との共同で、サウンドスケープデザイン研究所を設立。以後、両者との協働が始まる。 |
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1987年 |
法政大学社会学部兼任講師(-1991) |
法政大学では「芸術と社会」という科目と共にゼミを担当。ゼミ生には後にLAO社員となる古井亮太、藁科裕里がいた。この頃、都市史学者・陣内秀信の紹介で「江戸東京フォーラム」に参加するようになる。 |
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1988年 |
《横浜市西鶴屋の音響計画》
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横浜駅西口近くを流れる派新田間川にかかる西鶴屋橋のリニューアルに当たり、高速道路下の「見捨てられた都市空間」に耳を開くきっかけとして、GK設計デザインの欄干に組み込んだカプセル内に発音装置を仕込み「ささやきの聞こえる橋」とした。横浜博覧会会場音環境デザインの担当に繋がる。 |
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1989年 |
《横浜博覧会会場音環境デザイン》 ![]() |
横浜博受注のため、株式会社LAO(代表取締役・山口泰)を設立し、顧問に就任。事務所を外神田(神田明神そば)に構える。この頃から湯島聖堂等を会場に、サウンドスケープデザイン研究機構主催の研究会を頻繁に開催し、音環境に関心のある人々とのネットワークを構築。 |
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1990年 |
《音の種》《音の見晴らし台》 国際花と緑の博覧会 ![]() |
山口泰と共に、既に設立した組織をまとめて「地域感性計画グループ」を構想・設立。(サウンドスケープデザイン研究機構をサウンドスケープ研究機構に改名) |
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1991年 |
聖心女子大学教育学科専任講師(-1991) ![]() |
大学を拠点とする研究教育活動の必要性を認識するなか、聖心女子大学教育学科においては音楽に留まらない広い領域での活動があり、それまでのデザイン活動継続が認められたこと等が、同大学への奉職に繋がる。 |
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1992年 |
《瀧廉太郎記念館庭園計画》 ![]() |
瀧廉太郎の「旧宅」を記念館とする事業において、来館者が「廉太郎を育てた音風景を追体験する庭の設計」を担当。文献+聞き取り調査の結果を踏まえて実現。 |
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1993年 |
日本サウンドスケープ協会設立(副会長 -1998) |
この頃までに関西では、土木学会関西支部内に共同研究グループ「サウンドスケープと環境論研究会」が発足しており、関東では上述のサウンドスケープ研究機構主催の研究ネットワークがあった。そのため日本サウンドスケープ協会は「関西・関東二本部制」で活動を開始。 |
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1994年 |
聖心女子大学教育学科助教授(-2002) |
聖心では秋山洋祐(広尾の秋山米殻店店主)をはじめとする広尾商店街との交流から、地域活動への参加と企画を展開。広尾在住のアーティスト吉村弘、佐藤慶子との交流を深める。
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1995年 |
環境庁「残したい日本の音風景事業」検討会委員(-1997) ![]() |
「なごや音名所」(1989)以降、各地で企画・実施されるようになった同種のプロジェクトの流れを受け、音風景をテーマに初めて全国規模で実施された事業。「わがまちの音風景」を発掘・推薦する事業は、その後さらに展開し現在に至る。 |
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1996年 |
富山県立山博物館運営委員(-2022) |
グッドデザイン賞審査の担当部門は公共空間用設備機器。申請や審査に当たり「生産・流通・販売等の産業活動への使用」を前提とするデザインという規定に違和感をもつ。 |
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1997年 |
『サウンドスケープ:その思想と実践』(SD選書・鹿島出版会) |
『サウンドスケープ』の編集者・森田伸子との出会いは、1983年ユーロスペースで、サウンドスケープデザインを日本の風土のなかで展開したいと述べた講演会に遡る。出版から4年後、谷村晃先生の指導のもと、同書に大幅加筆したものを大阪芸術大学大学院に博士論文として提出、受理される。 |
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1998年 |
金沢市「音風景保全全国大会」アドバイザー |
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1999年 |
富山県新総合計画環境政策研究会」委員(-2001) |
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2000年 |
風聴亭(自邸兼アトリエ)竣工 ![]() |
「土地の気配を呼吸する家づくり」と共に、自宅で慣れ親しんできた引き戸の再利用をめざしたことから、古民家再生を得意とする山中工務店(秩父の棟梁)との縁を得る。以来、武蔵国・武蔵野へのより明確な意識・関心をもつようになる。また、建築家・大塚聡との協働のなかで、日本では「作曲家/建築家」といった職業は江戸時代まで存在しなかったことを互いに確認する。この自邸に落ち着いて以降、地元善福寺での各種活動に参加するようになる。 |
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2001年 |
大阪芸術大学論文博士号(芸術文化学)取得 |
学童保育OGOBが運営する地元(善福寺北地域)ミニFMラジオ局:ラジオぱちぱちに参加。以後、レギュラーメンバーとして「プリンセスKeikoの教えてその音!」を担当。 |
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2002年 |
聖心女子大学教育学科教授(-2007) |
聖心のキャンパスには旧久邇宮邸をはじめ、礼拝堂や修道院があり、現代社会の経済原理とは一線を画して生活するシスターたち、難民を助ける会学生支部所属のゼミ生たちとの交流等、貴重な体験を積む。 |
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2003年 |
ラジオぱちぱちメンバーとしての活動開始(-現在) |
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2004年 |
「高尾山天狗裁判」にサウンドスケープ研究者として出廷・証言 |
弁護団より依頼を受け、現行の法律(環境基準値の設定)では守ることのできない圏央道開通による霊山・高尾山における静寂破壊の内実を解説・証言。この体験を通じて、環境デザインへのサウンドスケープ論の必要性を深く認識する。 |
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2005年 |
シブヤミライプロジェクト委員(-2008) |
渋谷区の未来構想のための区長の諮問委員会・第2期委員長。そこで出会った渋谷神泉谷「弘法湯」の末裔・佐藤豊との交流が<SCAPE WORKS 百軒店-円山町>へと繋がる。 |
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2006年 |
日本学術会議連携委員(-2021) ![]() |
第20-24期一貫した所属したのは環境学委員会(環境思想・環境教育分科会)だが、他の分科会・委員会にも所属。2010年には環境委員会と哲学委員会の共同企画「立山公開シンポジウム2010:<場の感性>の蘇生に向けて」を担当(会場:立山博物館「遙望館」)。「立山を舞台に、環境・文化・思想・教育・芸術を考える」というテーマを掲げた。 |
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2008年 |
『サウンドスケープの詩学:フィールド篇』(春秋社) |
都市・文化・メディア等をテーマに諸科学を融合し、文化のプロデュース力、創造的世界市民の育成をめざして創設された総合文化政策学部に移籍。 |
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2009年 |
《SCAPEWORKS百軒店》活動開始(2016年百軒店を円山町に変更) ![]() |
この年の新入生を歓迎するために企画した「キャンパス遊歩音楽会」を通じて、鷲野宏・辻康介との協働が始まる。 |
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2010年 |
《池の畔の遊歩音楽会:トロールの森に捧ぐ》(-2019) |
自宅そばの都立善福寺公園上池を会場にしたアートフェスティバル「トロールの森」参加プロジェクト。以降の継続するなかで、地元をフィールドとした調査・まちあるき・シンポジウムを企画・実施する。 |
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2012年 |
法政大学エコ地域デザイン研究センター客員研究員(-現在) ![]() |
記念館20周年を記念したリニューアル事業を監修。開設当初のコンセプトを踏まえ、屋内空間の情報デザインを再構成。20年前に提案した「廉太郎が聴いた竹田のまち」をテーマにした街歩きについても新たに作成した小冊子で展開。空間設計と冊子デザインは鷲野宏が担当。 |
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2014年 |
髙島屋社外取締役(-2022) ![]() |
高島屋では、百貨店による都市・地域づくり、環境・美の観点からアドバイス・意見した。 |
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2016年 |
シンポジウム「渋谷のまちと音楽文化」 |
元西武百貨店社長/日本文化デザインフォーラム理事長・水野誠一、建築家・南條洋雄等を講演者・パネリストに迎え、音楽文化を切り口に渋谷という都市の創造力をめぐり学生たちを交え討議。 |
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2018年 |
シンポジウム「水系と音風景が繋ぐ:善福寺池と小菅村:土地の記憶の発掘・継承・発信」 |
建築家・水みち研究家の神谷博、妖怪研究家の横山泰子(法政大学江戸東京研究センター長)等と共に「神田川源流の善福寺池」と「玉川源流の小菅村」とを繋ぎながら、まちづくりにおけるアート・芸能・神事等の役割を考察。 |
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2019年 |
公益財団法人ハイライフ研究所理事(-現在) |
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2020年 |
一般社団法人 日本サウンドスケープ協会設立・代表理事(-現在) ![]() |
遊歩音楽会の「跡地巡礼」というコンセプトのもと、マルチメディアインスタレーションによるTrans Media Walkと Broadcasting Walkによるリアルとヴァーチャル(現実と架空/過去と現在)を行き来しながら展開する「新たな池巡り」。鷲野宏とのコラボレーションによる。 |
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2021年 |
環境省五感環境創出調査検討会委員 |
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2022年 |
AGU環境人文学フォーラムに参加(-現在)
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コロナ禍が開け、遊歩音楽会のリアル開催再開に当たり、辻康介との二人体制にリセットすると共に、開催時間を、地球の自転との関係で生じる「黄昏/たそがれ」の時間帯に移行する。渋谷円山町での活動は「三長本づくり」が中心となる。 |
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2024年 |
『触発するサウンドスケープ』(共著 / 岩波書店) |
渋谷円山町での活動を 『渋谷円山町に生きる 料亭三長』(監修 / 料亭三長)という形でまとめる。 スウェーデン・アイルランド・トルコへの調査を兼ねた訪問の後、「台南400年」を記念して開催された国際サウンドスケープフォーラムより招待を受け、講演等を行う。 |
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2025年 |
《池の畔の遊歩音楽会 ヲソを辿る》(-現在)
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遊歩音楽会は、上池(遅野井)の畔から下池を経てかつて同じ名前で呼ばれていた祭祀の場(井草八幡神宮)の境内までの道を辿った後、能楽師・安田登+東京雑戯団が神楽殿で上演・展開する『遅の井』にオソの記憶を解き明かすという第5期に入る。 |
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2026年 |
「三長の会」活動開始 |
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